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2012年01月 アーカイブ

ヨーロッパ史を変えた東洋の茶


イギリス・・・


いえヨーロッパには元来、茶はなかったのです。


いまでも茶の木は育ちません。


16世紀なかごろ、ヨーロッパ人がアジアへ来航して、かれらははじめて中国、および日本でチャという飲みものを発見しました。


チャがたんなる飲みものであったならば、それほどヨーロッパ人の関心を誘わなかったでしょう。


チャがヨーロッパ人をいたく感動させ、かれらを魅了したのは、とくに日本の茶の湯文化でした。


かれらが来航した16世紀後半といえば、日本の茶道が千利休によって大成され、茶事が全盛をきわめていた時代です。


イエズス会の宣教師のおおくは、かれらの接する町人や武家支配階級がチャと茶の道具、茶会に最高の価値を見出していたことに、強い好奇心を寄せていました。


かれらからみれば、ろくでもないふるい釜や壺、ひん曲がった茶碗に、どうして日本人は万金を投じるのか。


一服のチャを飲むのに、どうして茶のたてかた、道具だて、飲みかたにいたるまで、いちいちむずかしい作法や儀礼を必要とするのか・・・。


茶の湯にまつわる、こうした一種の宗教的神秘的な儀礼が、チャに対するかれらの好奇心をいっそうかきたてたのです。


彼らは今でも、海外に行くなら日本がいいと言っているくらいお茶の文化に興味を示しているのです。


イギリスとお茶の文化


好奇心が、やがて東洋の茶の文化に対する畏敬と憧憬に変わっていきます。


その意味で、わたしは、ヨーロッパの近代史のひとつの出発点になったのが、東洋の茶の文化ではなかったか、と考えています。


「中国人も幾世紀の長きにわたってずいぶんお茶を飲んだかもしれないが、果たして彼らが、過去百年間にイギリス人がお茶から味わった喜びや楽しみの百万分の一でも、そのお茶からくみ取ることができたであろうか」(ギッシング前掲書)。


・・・このようにイギリス人をいわしめたほど、ヨーロッパのなかで、とくに東洋の茶の文化にいかれたのがイギリスでした。


イギリスがチャをくすりとして飲みはじめたのが17世紀なかごろ、やがてこれをリファインし、イギリス独自の茶の文化として仕立てあげました。


・・・つまり、かれらはチャのなかでも紅茶を選択し、それにミルクと砂糖を入れて飲むという独自の飲みかたを開発したのです。


では、海外旅行先として人気の高いヨーロッパのなかでも、どうしてイギリスにおいて、茶が国民的飲料として急速に普及したのでしょうか。


・・・そもそも茶がポピュラーな国民飲料になる以前のイギリスに、どんな飲みものがあったかといえば、水と自家製のエールしかなかったのです。


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